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越後と親鸞聖人

別院紹介

沿 革

承元々年(1207)、親鸞聖人越後御配流のご苦労を通しそのご縁をいただき、上越一円の門徒から建立が望まれ現 在の地に東本願寺直轄の高田掛所(別院の前身)として幕府寺社奉行から設立を認められたのが享保15年(1730)東本願寺第17代真如上人の時。この間設立に向けての運動は享保7年から8年間におよび展開され、幕府の新寺建立停止の 政策にもかかわらず寺社奉行への篭訴や入牢をも覚悟するほどの不屈な熱意で嘆願、掛所建立の願いが結実した。
現在の地は、頚城開墾の祖小栗美作の屋敷跡で、時の高田城主榊原政永より寄進を受けた土地。
当初は東西14間半、南北15間の本堂と御食堂、総門、鐘楼、宝蔵、庫裡、総会所、茶所、詰所の壮大な施設が建立されたが、その後4度の火災で焼失。
焼失前の別院本堂
いずれも延享2年(1745)、宝暦5年(1755)、宝暦10年(1760)、昭和33年(1958)にこの地方頚城3郡(東頸、中頚、西頚)に亘る250余ケ寺の管内寺院とその門徒の懇志浄財で再建され ”お多屋”、”高田御坊”、”越後高田掛所” と称され明治2年(1869)に東本願寺高田別院と改称。全国に存する真宗大谷派52別院の一ケ寺として現在に至る。
現在の別院本堂
平成16年(2004年)2月に再建された高田別院会館
高田別院のあゆみ
1207(承元元)年  親鸞聖人「承元の法難」により越後に遠流
1731(享保15)年  真宗寺地内に仮御堂建立(別院の前身)
1737(元文2)年  現在地に本堂・御食堂・台所・総会所・鐘楼等建立
1827(文政10)年  大門再建
1838(天保9)年  鐘楼再建
1876(明治9)年  東本願寺高田別院と改称
1883(明治16)年  尾神嶽殉難(おがみだけじゅんなん)事故
1948(昭和23)年  高田大谷保育園開設
1959(昭和34)年  本堂再建
2004(平成16)年  高田別院会館再建
2007(平成19)年  親鸞聖人遠流800年

山 門

総欅の単層入母屋造3戸門で文政10年(1827)第20代達如上人の願で建立。「別院大門」の名で親しまれ上越市に残存する山門では唯一、最も荘厳な門である。当時の藩主も緊縮財政の中、町の活気を得んためと特別に許可したもので棟梁竹澤志摩則行の手による彫刻は中国の故事や12支を見事に浮彫りにしている。
大門 御修復前
大門 御修復後

鐘 楼

現在の鐘楼堂は文政元年(1818)に建立された。中の梵鐘は天明3年(1783)真宗門徒として聞法篤信な宮崎勘助氏(三和村)の寄進による重量480貫の大鐘。焼失した太鼓とともに「お多屋の太鼓と大鐘」と親しまれ、当時城下に時を知らせ町人の生活と深い結付きをもっていた。その後大戦により昭和19年(1944)当時政府が没収。
上越地方から名物の大鐘の音が消えたと思われたが、同20年8月埼玉県にて無傷のまま発見。当時の別院筆頭総代廣瀬収造氏の努力で再びこの地に返り、現在は安穏な時を刻んでいる。

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