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「身動きとれぬ程のお多屋参り」と言われ、参詣者で賑いをみせた報恩講は古くから ”おたや”と呼び親しまれて来た。期間中の境内は上越地方各地からの参詣者で溢れたと言う。 |
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本堂焼失の際も御本尊を救出し場所を移して厳修されて来たこの報恩講は別院年間行事の中でも最大の行事。親鸞聖人の徳を偲び、仏法を聴聞し、自己の生き方を 問う場でもある。 |
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『おたや絵巻』 戦前の報恩講の様子 サーカスや軍服姿に当時の様子がうかがえる |
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春の法要
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雪深い上越の人にとって春彼岸時期はまだ雪の下。墓地参詣も出来ない事から桜満開になる4月期実施されるこの春の法要を待ち望む。
別院では期間中、親鸞聖人御誕生会、全戦没者追弔法要、別院納骨者追弔、永代経法要の読経が厳修され、御法話を聴聞する法要。 |
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御影巡回
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毎年2月から3月に管内各地の門徒宅で開催され、東本願寺第19代乗如上人の御影を別院よりお迎えし、仏法聴聞する行事。 この御影は御歴代御影のなかでも稀で、黒衣、墨袈裟のお姿。現在の東本願寺の再建の際、この上越地区の多くの門徒が人夫として参加、また毛綱の材となった頭髪の寄進などの篤信に対して第20代達如上人より下附された御影として当別院に伝わる。 |
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第19代 乗如上人墨衣御影 |
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『本願寺用材切り出し屏風』 (一部分) |
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当別院に残る東本願寺両堂再建の御用材運搬の屏風。 第21代厳如上人より明治13年に全国へ両堂再建の願い状が発せられ各地からの欅、杉等の造営献木により現在の両堂建立が叶った。上越からも直江津木場から海上を経て運ばれた。同16年2月尾神嶽殉難者の遺徳が偲ばれることである。 |
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